空手衣のヒロタ福岡支店に行ってきました。

昭和63年に創業以来、本学空手道部は長きに渡り大変お世話になっております。
また、空手道部の古田師範とヒロタさんのお付き合いは昭和49年からとお伺いしております。
師範37歳、広田さん30歳の頃。
創業時は生地メーカーとの取引もなかなか上手くいかず、非常にご苦労されたそうです。
当時は、現在のように学校や道場との取引ではなく個人での発注が多く、様々なところへ出向き一人一人採寸し道衣を作っていたそうです。
九州学連の合宿地や、様々な大会に足を運び多くの先生方や選手の方の話を聞きながら、道衣作りも試行錯誤の日々だったそうです。
少しずつ受注数を増やし実績を積み重ね、ようやく生地メーカーとの契約や学校、道場との契約が取れるようになったとのこと。
古田師範をはじめ九州学連の先生方には非常にお世話になり、育てていただいたとおっしゃっておりました。
また、今では考えられないのですが非常に短い道衣が流行った時代がありました。裾は膝下、袖は肘下。
既製の道衣をわざわざ切って、裾と袖を補正する。学校単位でいきなり20着~30着も受注が来ることもあり、とても大変だったそうです。
しかし、その時の経験が技術力向上に非常に役立ったそうです。
“ヒロタ”の道衣といえば“ピナック”の特別仕立てがとても有名ですが、非常に面白い誕生秘話をお伺いしました。
当時は厚手で硬く重たい道衣しかない時代、某流派の著名な先生から『薄くて軽い道衣が出来ないか?』と相談があったそうです。
当初は既存で薄い生地の道衣を使用していたそうですが、耐久性が良くなく満足いくものではなかったそうです。
時間を掛けて素材探しに奔走し、試行錯誤の末現在の“ピナック”が生まれました。
実は年配者向けに特別に作ることが始まりだったそうです。そこから暫くして学連の選手やナショナルチームのトップ選手が着用するようになり全国的に広まりヒット商品となりました。
因みに“ピナック”の名前の由来は使用されている特殊糸から付けられたそうです。
色々な人とのお付き合いを大切にし、耳を傾けたことが道衣の世界に新しい風を吹き込んだ結果となったのです。

本学と長いお付き合いの中で印象的なことや、選手のことを尋ねてみました。
『記憶に深い試合や選手は勿論たくさんいた。でも、九州産業大学の学生は空手の強さだけではなく4年間で人間性が非常に成長する姿が見える。九州産業大学との長い付き合いの中で、4年間試合に出れない学生や、4年生になって負けが続く学生もたくさんいた。主将になっても補欠の学生もいた。涙を流しながら相談してきた子もたくさんいた。でも、みんな非常に素晴らしい社会人になっている。それぞれのステージでちゃんと活躍し、生きている。古田師範、指導者の教えの中で一番感心するのは人を育てる事が出来ているところ』
とおっしゃっていただきました。ありがたいお言葉であり、今後もそうあるべきと叱咤の言葉と捉えたいと思います。
今回色々なお話を聞く中で一番印象的だったのが“育てる”という言葉でした。
本学空手道部員も、選手として強くなるだけではなく、誰にでも愛される選手になってくれることを期待しています。
また、社会人として羽ばたく時にどこへ出ても恥ずかしくない人間力の向上を目指し日々の生活に取組み、共に学んで行きたいと思います。
時間を作っていただいた広田様、奥様、坂本様、スタッフの皆様お忙しい中ありがとうございました。
貴重なお話を聞け、非常に勉強になりました。
今後とも九州産業大学空手道部をよろしくお願いいたします。
押忍

『空手界に育ててもらい、選手と共に成長してきた』広田邦義
http://www.karategi-hirota.co.jp