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クスノキ

  • こんばんは。1回生の鈴木です。
    本日もよろしくお願いします。

    本日は、長崎県の被爆クスノキについてお話していきたいと思います。
    この大クスは、1945年8月長崎市上空で炸裂した原子爆弾により、幹に亀裂が入り枝葉も吹き飛ばされ、熱線で焼かれ一時は枯死寸前となりました。その後、奇跡的に再び新芽を芽吹き次第に樹勢を盛り返して蘇り、焼け野原から復興に向かう被爆者らを勇気づけました。平和や再生のシンボルとして親しまれ現在では長崎市の天然記念物に指定されています。
    様々な樹木に囲まれた山王神社の境内入口にどっしりと根をおろしている大クスで、青々と茂る葉と力強く伸びる幹が印象的です。
    原爆の爆風や熱線を耐え抜き、現在まで生きながらえた樹木を被爆樹木と呼びます。
被爆樹木の多くは原爆の痛々しい傷跡を残し、
原爆で建物が破壊され、たくさんの方々が亡くなった場所に今も静かに佇んでいます。
    被爆樹木の中には樹齢数百年になるものもあり、
樹木医による専門的な診断や治療も必要で、長崎市では所有者の方に治療費を補助し、その保存に努めているそうです。

    神社の境内には、御神木としてクスノキの巨樹が2本あります。クスノキも被爆して、その直後からしばらくは枯死同然で歳月を経過しました。被爆後2年目に奇跡的に芽を吹いて徐々に自力で樹勢を回復し出し、世は食料難、高度経済成長等の時代と目まぐるしく変化するなかで、着実に緑滴る様な青葉を茂らせて今に至っているそうです。
    しかしながら、枝幹に残る痛々しい被爆の爪跡からは、3千度を越す熱線の影響が思い起こされています。
    原爆被害の生き証人として、生き永らえてきたクスノキの現況を調査し、それをもとに対応策を立てて実施することは、所有者の神社や氏子の方々はもちろんのこと、長崎に何らかのかたちで関係する人々が思いをひとしくするところであります。

     

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    これがクスノキの写真です。
    本日も読んでいただきありがとうございました。
    明日もよろしくお願いします。
    それでは失礼します。